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![]() トノモトショウ マイルス・デイヴィスは1964年に「ジャズは死んだ」と語っている。モダン・ジャズの行き詰まりによってフリー・ジャズが台頭し、チャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーの登場によって音楽のメイン・ストリームはロックへと移り変わった。ビートルズの《抱きしめたい》が全米チャートで一位を獲得し、ローリング・ストーンズやザ・フーといったイギリスのロック・バンドが人気を博すのもちょうどこの頃のことだ。伝統的なスタイルは新しいスタイルに淘汰され、あるいは全く違ったジャンルの流れによって取り残されていく。マイルスはそんな趨勢を見て「ジャズは死んだ」と感じたのだろう。 70年代に入ると、キッズ達は口々に「ロックは死んだ」と囁くようになる。ビートルズの解散を契機に、ロックは次第に細分化・洗練化していく。都会的で人工的なグラム・ロック、複雑で理論的なプログレッシブ・ロック、スピードとダイナミズムを前面に押し出したハード・ロックやヘヴィ・メタル……。いつしかロックは成熟し、商業主義に傾倒し、難解なものへと変貌していった。本当の意味でのロックが失われていくことに反発したキッズ達は、ロックの精神を純粋化・先鋭化させた音楽=パンクというムーヴメントを生み出すことになる。しかし、パンクの旗手となったセックス・ピストルズが解散すると、瞬く間にそのムーヴメントは終焉を迎える。皮肉なことに、80年代に入って「パンクは死んだ」と宣言したのはセックス・ピストルズのフロントマン=ジョニー・ロットンだった。 90年代以降は、それまでのロックやパンクのグルーヴや精神性に、キャッチーなメロディーを加えた、よりポップなサウンドが求められるようになる。アメリカではグリーン・デイやオフスプリングに代表されるポップ・パンクが主流となり、イギリスではオアシスやブラーを中心としたブリット・ポップがチャートを賑わせた。だが、やはりここでも「ポップは死んだ」と叙情的に歌うアーティストが登場する。97年に発表したアルバム「OKコンピューター」によって、90年代ポップ・ミュージックの頂点を極めたとされるレディオヘッドである。彼らはアルバム発表の4年も前に「ポップは死んだ」というタイトルの曲をリリースしている。しかも「それはそんなに大したことじゃない」とさえ歌っているのだ。 さて、ジャズが死に、ロックが死に、パンクが死に、ポップすらも死んでしまったとされる現代に生きる我々にとって、聴くべき音楽というものは果たして存在するのだろうか。あらゆる音楽の屍の上で、いまなお刺激的なサウンドを提供してくれるアーティストは残されているのだろうか??。その答えを示してくれる唯一のミュージシャンをオレは知っている。もちろん the sunday schoo;l のことである。 the sunday schoo;l(以下、サンデー)が1991年に横浜で結成された当初は、二人組のバンドであった。サンデーの楽曲全てにおいて作詞・作曲を行い、ヴォーカルおよびギターを担当するヨケマキルをフロントマンとし、ベースまたはギターを担当する tt(今作「アスペルガートリック」ではディレクターとして参加している)の二人で、94年までの間に本拠地である横浜や東京・四谷のライヴハウスなどで精力的に活動を続けていた。インディーズ・シーンで着々と人気を獲得し、多くのファンを抱えるようになるが、そんな折に tt が突然の脱退を表明。以後はヨケマキル一人のバンドとして、ライヴ活動を継続する。 2001年にはインターネットで自身のウェブ・サイトを開設。自作の詩や写真など、様々な分野での創作活動を続け、新たなファンを得ることにもなった。そんなファンからの後押しもあり、02年にファースト・アルバム「バイ菌猫エンジン」を発表。既存の楽曲を中心に纏められたこのアルバムでは、当時のサンデーが持っていた(もちろん今でも失われたわけではないが)究極のエネルギーが凝縮されている。サンデーの代表曲である《ジョニーBファック》から始まり、《憂ウツ玩具》《共産主義の声が聞こえる》といった初期サンデーの象徴的な楽曲が収められている。そこではエロスとタナトスの同時的な発現が起こり、ロックとポップの両方の特色を備えたヴィヴィドな音が広がっている。 続けて04年にセカンド・アルバム「SS tracks II」を発表。ここでは既発表曲に加えて、新たに作られた楽曲も収められた。《U脳マイネーム》などの新作と、《tvジャンク・グルーヴ》などの旧作が織り交ぜられることによって、サンデーの音楽的な軌跡を辿ることも出来る。また、よりポップ色が強くなったのと同時に、陰鬱でヒステリックな感情の吐露が執拗に行われていることにも注目したい。何となく落ち着いた雰囲気もあり、ある意味で貫禄を見せつけた一枚になっている。 そして3年の歳月を経て、満を持して発表されたのが今回の「アスペルガートリック」というわけだ。今作では全ての楽曲が一から作り始められ、新たな要素もいくつか加えられている。過去2作との大きな変更点は、生ドラムを採用したことだ。これまでのアルバムでは、ほぼ全ての楽曲において tt が打ち込みドラムにてアレンジを行っていた。今作では tt のアレンジは僅か3曲に抑えられ、多くの楽曲で kikkiによる生ドラムを主体とした、よりライヴなサウンドを実現している。また、同じくkikki によるキーボードの使用や、他アーティストとのコラボレーションなど、これまでのサンデーからは考えられなかった新鮮な要素が加わることで、より幅の広い音を作り出すことに成功している。 ヨケマキル自身が「階段をひとつ上がった」と語るように、今作「アスペルガートリック」でサンデーは大きな進化を遂げている。前述したような音楽的な新要素もその一つだが、もっと精神的な部分での成長が見える。ロックやポップのカテゴリーの中には収まらず、サンデー独自の音楽を確立するために、ヨケマキルはこれ見よがしに懊悩し、爆発し、破壊を試みる。そのモチベーションを端的に表しているのがM1≪破界大戦III≫である。突風が吹き荒れるかのようなSEと、不穏なギターリフ&アルペジオから始まるこの曲は、過去2枚のアルバムから引き継がれたサンデーの「音楽のあり方」が歌われているように思う。tt によるドラム・トラックはサンデーの王道的なリズムを刻み、ヨケマキルの舌足らずなヴォーカルが不安定なサウンドを引き出す。≪破界大戦III≫というタイトルには、今作「アスペルガートリック」を含む3枚のアルバムが、現在のありとあらゆる音楽を破壊するためにあるということを示している。「新しき衝動テスト/いかさまの破裂ゲイツ」とは、サンデーの音楽そのものだ。例えば、近年の「J−POP」と呼ばれる音楽にありがちな耳障りの良いメロディー、親しみやすいテーマ、当たり障りのない歌詞といったものは、サンデーの楽曲には欠片も見当たらない。死や破壊を主題とした歌詞や、何者も寄せ付けないオーラを放つサンデーの楽曲は、現代において新しいムーヴメントとも成り得るし、逆にいかさまとしても捉えられる。そんな音楽を引っ提げて、サンデーは既存の音楽を破壊する大戦を繰り広げるというわけだ。 M2≪creed≫では、破壊を終えた後のサンデーの信条が綴られている。ここでkikki による生ドラムが加わり、ダブルギターのユニゾンによってヘヴィーな音が作られている。ヨケマキルのテンションは早くも頂点に達し「信仰で死にそう」と強烈なシャウトを上げる。特に「ゆりかごからいけにえまで」のエネルギーは尋常ではない。「信仰で死にそう」というフレーズから何を感じるかはそれぞれだが、「死」というイメージはサンデーにとって重要なテーマであることは間違いないだろう。それは、続くM3≪自殺ライラック≫で、これまでになくはっきりと歌われていたりする。 M3≪自殺ライラック≫は、前曲とは打って変わって非常にメロウなナンバーだ。叙情的なピアノから始まり、ノイズ・ギターの激しいカッティング、ビブラフォンやストリングスなどを使った多彩なアレンジが施されている。抑えたヴォーカルは終盤で爆発し、ドラマチックな展開をみせる。さて、サンデーの楽曲には「死」あるいはそれを連想させるキーワードが頻出することは、周知の事実であろう。特に「自殺」というキーワードは、過去にも「自殺装置と鳥の声をボクにくれ」(≪U脳マイネーム≫)「ボクを今救うのは静寂じゃなくて自殺だけ」(≪WALts≫)などと歌われ、「自殺」に対する憧れのようなものが表れているかに見える。しかし、それは決してネガティヴな志向ではない。サンデーが定義する「自殺」とは、自らの死を自らで制御するという一つの美学なのではないだろうか。≪自殺ライラック≫では、「ライラック」=少女が美しく「枯れ散る」=自殺する一連の様子が描かれている。ここで登場する少女は、もしかしたら≪アタラシイ東京≫で「ビルからまっさかさま」に落ちた「ボクの好きなアイドル」のことかも知れない。ともかく、少女は悲惨な自殺を遂げるわけだが、そこには反道徳的でグロテスクなイメージは与えられていない。物悲しい雰囲気は確かにあるが、決して涙を誘うようなものではない。舞い降りた天使に後光が差すかのような、究極的な美しさがあるように思う。 M4≪ヒズムイズム≫では、またしても曲調が一変。不安定なコード、ライド・シンバルの奇妙な響き、そして艶かしいヴォーカルが印象的な非常にヘヴィーな曲だ。今作「アスペルガー・トリック」の中で、最もサンデーが実験的に取り組んだ楽曲なのではないだろうか。というよりも、ミュージシャンであるヨケマキルと、詩人であるヨケマキルが、初めてシンクロした作品であろう。≪ヒズムイズム≫の歌詞は、これまでのサンデーの楽曲の中でも特に文学的に思える。「解読されない発狂詩人」とはまさにヨケマキル自身のことであり、「太陽王」「月光神」という悪意に満ちたキャラクターの出現はそこに物語があることを示している。≪ヒズムイズム≫の世界観こそが詩人・ヨケマキルのテーマであるのは疑う余地もないが、ミュージシャン・ヨケマキルとの出会い(あるいは分化されていたものが、再び融合された)によって新たな表現が可能になった。サンデーの歴史において、重要な位置を占める楽曲となったであろう。 M5≪happy≫は、サンデーとしては珍しい真正面からのバラード・ナンバーである。もちろんこれまでも≪春ノ死ノ音≫や≪いけにえの世界≫など、バラード調の楽曲がなかったわけではない。しかし、ここまで直球なバラードを提供してくれるとは誰が予想できただろう。ただでさえ高音のヨケマキルのヴォーカルは、ファルセットによってさらに高い響きを持ち、≪happy≫というタイトルながら心を揺さぶる悲愴感が漂う。なぜなら、ここで歌われているのは単なる「幸福」ではないからだ。「be happy/I'm happy(幸せであれ/ボクは幸せだ)」という答えに至るまでに、別離や逃避があることにお気付きだろうか。「幸せであれ、そうすればボクは幸せだ」と捉えるか、あるいは「幸せであれ、ボクはボクで幸せだから」と捉えるか。それは聴く者それぞれの人生から見出だすべきだが、少なくともそれは「幸福」ではない。素直な歌のようだが、心の傷を覆い隠した哀しい歌なのである。 アルバムの中心を飾るM6《fuck tune》は、サンデーのギター・サウンドの真骨頂である。それだけにストレートなタイトルが付けられている。様々なエフェクトとテクニックによって、一曲の中でコロコロと表情を変えていくが、徐々にテンションが張り詰めていく展開が巧妙である。ドラムの6連符も印象的。この曲あたりから段々とスピードを増していき、ラストまで流れていく。 M7《ブラック・サブマリン》は、言うまでもなくビートルズの《イエロー・サブマリン》へのオマージュである。歌詞もそのまま引用されているが、ビートルズとは全く正反対の路線を突き抜けていく。《イエロー・サブマリン》を歌ったのはリンゴ・スターだったが、《ブラック・サブマリン》を歌うのは現代のトリックスター・ヨケマキルである、という暗示的な側面がある。「死んだやつなんかそこに置いてけ」というフレーズが何だか引っ掛かる。《ブラック・サブマリン》という名前の潜水艦の形をした棺に閉じ込められた主人公は、自らもそこに生きながら(あるいは死んでいるのかも知れない)死者を冒涜する。それは、このライナーの冒頭でも述べたように、音楽という屍の上で、やはり音楽に囚われているサンデーの現在の姿を映しているようにも見える。もしくは≪自殺ライラック≫の項でも指摘したような、ヨケマキルの「死の美学」を投影しているとも言える。「stay me(捨てる身)」と聞こえるラストに何を感じるだろうか。 アルバム終盤を彩るM8《メーデーメーデー》、M9《ギミー*ソドム》、M10《D-fly》の3曲からは、特にサンデーの音楽的なスキルアップが垣間見られる。ポップだがヘヴィーなメロディー、様々なギター・テクニックを駆使し、これまで以上にサンデーらしさが表れた秀作だ。しかし、ヨケマキルはあえて失敗テイクを採用し、不安定さを残そうとする。完全なものに魅力はない。アンバランスだからこそ生まれる美しさや格好良さがあり、それがサンデーの求める音楽なのだろう。 ラストを飾るM11《あたたかな闇》では、初のコラボレーションが実現している。これは Flower Powder などのバンドで音楽活動をしているオレンヂSODA のために、ヨケマキルが書き下ろした楽曲であり、今作「アスペルガートリック」ではツイン・ボーカルにて録音が行われた。互いの声質は全く異なるが、一曲の中で見事に融合されている不思議な曲である。また、歌詞・メロディー共に、どちらかというと「サンデー的」ではないが、オレンヂSODA という稀有な才能とのコラボレーションが新たな可能性を作り出すことにもなっている。 さて、長々と「アスペルガートリック」について書いてみたが、こんな解説にはほとんど意味はない。実際にアルバムを聴くこと以上に、サンデーの魅力を伝えられる方法はないからだ。あくまでも、ここでの解説はトノモトショウ個人の所感によるものなので、聴く人それぞれに楽曲の感じ方、その意味合いは異なってくるはずだ。どうか、まずアルバムを聴いてみて欲しい。昔からのサンデーのファンも、これからサンデーを聴こうと思う人も、必ず新たな価値観を植え付けられる、そんなアルバムになっている。そして、きっとこう呟くだろう。「音楽は死んだ」と。the sunday schoo;l だけが表現し得る「音楽以上の音楽」というジャンルが、今作で生まれてしまったからだ。 ![]() 鳥野新 いい! 私は全くの音楽音痴だけど思いっきりヨケマキルさんの世界に魅せられてしまった。曲と詩とそれを表現するボーカル・演奏が一体となって、巷に溢れる有象無象の曲とは一線を画する曲に仕上がってる。 このCDはどうも脳の封印を破壊するようで、妖しいイマジネーションがぼこぼこ沸いてくる。独りでヨケマキルさんのコンサートの妄想に浸ってしまった。どんな派手な照明にも悪魔的な装飾にも耽美的な舞台にも映えそうでわくわく。もちろん観客は総立ちだ。 それだけではない、このCDを聞いていると私の脳の太古からの部分も刺激される。天災や猛獣などの困難に立ち向かったご先祖の如く、なんだか急に困難に立ち向かいたくなって普段はだいっ嫌いな家事に挑んでしまった。でも掃除機をかけると音が聞こえないから結局中止しちゃうんだけど(笑)。 手軽で合法的なトリップをさせてくれてありがとうヨケマキルさん!(あ、掃除も) CDの感想。 破界大戦III:この粘りつくような猥雑な音が妙に心地良い。耳障りで芯のある言葉が、胸の底の自分の獰猛な部分をゾクゾクと刺激する。一旦聞き始めると、魅入られたように止められない。なんて快感。聞き終わった後、ず〜〜〜っと「はかいたいせんすりー」の声が頭にこだました。それも2〜3日。名曲だ。 creed:またこの曲がゆっくりしたテンポでずかずかと人の心の奥の隠しておきたい部分に踏み込んでくる。体験したくてもなかなか怖くて踏み込めないようなイマジネーションの世界に連れて行ってくれる。詩で切り裂かれて、曲が染み込むって具合。 自殺ライラック:波にもまれながら美しい海の中にゆっくりと沈んでいくような感覚に陥った。まるですべてがうっとりと終わっていくような果てしない終息を感じさせる曲想と、詩。 ヒズムイズム:透き通ったガラス球からいきなり閃光が飛び出し、サイケデリックに破裂するような映像が目の前に見えた。この迫力はさすが。 happy:う〜ん、ほっとするようなメロディー。この並びで演奏されると廃墟にさす木漏れ日のような感じ。救いようの無い映画のラストシーンに流したい。きっと映えるぞ〜。 fuck tune:ボーカルの勝利。この唄い方、この声でないとこの魅力は出せない。ヨケマキルさんだから表現できる曲だ。 ブラック・サブマリン:好きだなあ特にこれ。唄い方が色っぽくて、「捨てる身」がstill meに聞こえて面白い。この曲と次のメーデーメーデーを聴くと特に頭が刺激されるのか猛然とだいっ嫌いな掃除に挑んでしまうのだ。なぜ!? メーデーメーデー:これもたまらない。もう頭の快楽中枢に直結されている。ノリノリになってついついメーデメーデって一緒にコーラスしてしまう。何かの拍子にメーデメーデーと口ずさんでしまうことも。まあ、いつも私は緊急事態だが。 ギミー*ソドム:これは詩の魅力が出た曲だ。「ソドムのりんごがすべり〜」からが特に好きだ。インパクトがある。「鏡を見な」うん、鏡を見ます(←影響されている)。 D-fly:投げ出したような、それでいてあったかい唄い方。やっぱりヨケマキルさんすごい。 あたたかな闇:この曲も好きだなあ「隠れよう〜」からのフレーズは切なくて心に響く。天空から分け隔てなくさす光のような優しい曲。この曲を聴いて、ステレオが沈黙した後。うっとりと極上のひとときが訪れる。 長々と感想すみませんでした。 でも、すごいCDですよ。癖になります。 |